〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.33 2013年3月号
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■ 『ないた赤おに』――中学生を引き込むその世界

西川 洋平


 私は、理科を担当しています。絵本を理科で使うというのも、何かの化学変化を起こしてくれそうではあるのですが、私の創造力の外の話です。一つだけ、道徳の授業で使った絵本があるのを思い出しました。『ないた赤おに』です。読み聞かせながら授業を進めていく方法もあると思いますが、私は場面を表す「絵」として、いもとようこさんの絵を使いました。本文は多少簡略化し、文字だけ別のプリントに印刷をして資料としました。この作品は中学校でも道徳の資料として用いられることがよくあります。この実践では、自分の損得ではなく相手の幸せを願う気持ちの尊さを理解させ、自分もそうありたいと願う心情を育てることをねらいとしました。
 この絵本は、友だち同士の赤おにと青おにが織りなすドラマを描いています。おには人間と距離をとって暮らしています。人間にとって、おには恐ろしい存在以外の何ものでもありません。けれども、赤おには人間と仲良くしたいと思っています。仲良くするきっかけづくりを考えてみても上手くいきません。赤おにの姿を見ると人間はすぐに逃げてしまうからです。赤おには荒れていました。そんな赤おにに、あるはかりごとを青おにが提案します。青おにが村で暴れて人間を困らせ、赤おにが青おにを退治して人間を助けることで、赤おにが人間から大事にされるようになるというものでした。赤おには葛藤しますが、最終的には青おにのはかりごと通りに事が進みます。赤おには人間と仲良くなることができました。喜びの日々の中、青おにに会っていないことに気付きます。青おにの家を訪ねた赤おには、張り紙を目にします。そこには、赤おにと人間が仲良く暮らして欲しいこと、自分と一緒にいると赤おには人間から悪く思われるから自分は旅に出ること、赤おにのことはいつまでも忘れないこと、赤おにの体を案じていること、どこまでも友だちであることが書かれていたのでした。張り紙を読んだ赤おにが号泣して終わります。
 授業を考えるに当たって、ひとつの不安がありました。中学生を絵本で引き付けられるのかというものです。朝の教室で、絵本を読んでいる生徒は見たことがなかったことがその理由です。私も、中学生になってからはほとんど読んだ経験がありません。絵本を自宅で読んでいる生徒もいると思いますが、朝読書で読んでいる本の多くは小説です。ライトノベルや本屋さんに平積みされている文庫、映画・マンガのノベライズなどが人気を集めています。
 実際に授業を行った時の生徒の様子は、その不安を払拭するのに十分なものでした。このストーリーには、青おにの友情から生まれる赤おにの悲しみがよく表れています。生徒にとって共感できる場面があるものの、自分ならそうできるかについて考えを深めることが可能な資料だと改めて感じました。いもとようこさんの絵が素晴らしく、場面を捉えるだけでなく、心情に訴えかける独特の雰囲気があります。そのコラボレーションによって、生徒たちはこの作品の世界に引き込まれていったと思われます。授業の後には、実物の絵本を見たいという生徒も出てきました。絵本の持つ力の大きさを感じる一瞬です。
 夏休み前、佐々木マキさん、せなけいこさんの本を読み聞かせました。数冊ずつ紹介をし、「同じ人が絵も文もかいているんだよ」と話すと、「ほんとだ! 絵が似ている!」「このおじさん、さっきの本に出てきたサーカスの団長と同じ人なんじゃない?」などなど、子どもたちの反応が大きかったことを覚えています。それから数日・・・。
 今回は道徳の授業で取り入れてみましたが、より気軽にできる可能性があると思っています。朝のつどいや帰りのつどい、学級活動などに絵本を入れれば、生徒を引き付けることができるかもしれません。絵本は、読み手に生き方や在り方を問いかけてきます。それは、私たち大人にも、何かのヒントを与えてくれるものなのかもしれません。読み聞かせを教室でしたくても、40人の生徒に見せるなら、一冊の絵本は字も絵も小さ過ぎます。絵本を投影して映し出したり、ICT機器を活用することで、絵本の可能性はさらに広がるのではないでしょうか。

※ないた赤おに/浜田廣介作/いもとようこ絵/金の星社

 (附属中学校教諭)


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