■ うさぎに始まる
藤田 博
「こんやは はるの おまつりだ」、そう言って山盛りのにんじんを食べるうさぎたち、そこへ一匹のうさぎがやってきます。「ながい みみ、ながい ひげ、あかい めを した おおきな しろうさぎ」です。うさぎは、身勝手極まりない決まりを押し付けます。「この ものさしより ちいさい ものは、むらを でていってもらおうか。」夏になると、「ひげの みじかい うさぎには、むらを でていってもらおうか」と言い、秋風が吹き始めると、「むらに のこれるのは、しろうさぎだけ。」と言い、冬の初めには、「むらに すんでいいのは、おおきくて、ひげが ながくて、けが まっしろで、めが まっかな ものだけに する」と言ったのです。村からは誰もいなくなります。そこへ大きなうさぎがやってきます。「ながい みみ、ながい ひげ、あかい めを した まっしろな うさぎ」、うさぎが押し付けたすべての条件を満たしています。大きなうさぎは「いきなり ぺろりと しろうさぎを たべて、さっさと むらを でていった」のです。初めから見えていたそれに気付かなかったのは、驕りのため。巡り来る季節は元へと戻ることを示しています。帰ってきたうさぎたちの「ごちそうは にんじんの はっぱしか なかった」ものの、文句を言うものはいませんでした。「はるは そこまで きてるから」です。白いうさぎがやって来るに始まり、大きなうさぎがやって来るで終わる、エリック・バテュ作・もきかずこ訳『しろいうさぎがやってきて』(フレーベル館)の世界です。
レオ=レオニ作・谷川俊太郎訳『うさぎたちのにわ』(好学社)に描き出されるのは、「せかいいち うつくしい にわ」に暮らす二匹のうさぎ。ここからイメージされるのが「楽園」なのは言うまでもありません。年寄りうさぎには経験があり、知識があります。「りんごに てだしは しないこと」と注意をするのはそのため。りんごの木の幹からにんじんがのぞいています。実はへびの尻尾です。食べようとしたうさぎにへびが言います、「りんごの きには みごとな りんごが いっぱい なってるって いうのに!」そして、りんごを差し出し、「さあ あそぼうよ!」と声をかけます。そこへ大きな赤いきつねが。つかまってしまうと思ったその時、「おおきな くちを あけて」へびが二匹を待っていたのです。いよいよ、やはりとの思いに駆られます。しかし、それは思い違いだったのです。へびと遊ぶ、「りんごを たべても へっちゃら」のうさぎを見た年寄りうさぎは、自分の目が信じられません。「りんごってのは たぶん おおきな まるい ひかった にんじんに すぎないんだ」、そう言って、「りんごを まるごと のみこんだ」のです。のみ込んだのは、あまりに大きく変わってしまった「りんご」の意味、それを自らに納得させるものに思えます。新しい世界が、二匹のうさぎとともに始まったのです。
ささきたづ文・みよしせきや絵『子うさぎましろのお話』(ポプラ社)の舞台はクリスマス。サンタ=クロースのおじいさんが、贈り物を配っていきます。白うさぎの子「ましろ」は、「いちばんさきに、もらいました。」「どの子どもも 一かいきり」、それがわかりながら、「もういちど たのんで、おくりものを もらおうかな」と考えます。そのためには「べつの うさぎの子に なれば いい。」ましろは、墨を体にこすりつけて黒いましろになります。おじいさんには、それが「ましろ」だということが、すぐわかりました。おじいさんは残っていたサンドイッチを食べさせてくれ、一粒の種をくれます。家に帰ろうとしたましろは、白へと戻れなくなっていることに気づきます。「もういちど もらいに いったから」、そう考えたましろは、「この たね、かみさまに おかえししておこう。」と土の中へ埋めます。すると、「あっ! とれてる! 白く なってる!」神さまにお返しした種が、春になって芽を出し、大きくなります。「ぼくの まいた もみの木に、おもちゃが なってるよ。それから、ベルも、えほんも おかしも。」ベルの鳴る音を聞きつけて、「いちばんはじめに、サンタ=クロースの おじいさんの ところへ、おてつだいに とんでくる」のは、決まってましろです。「いちばんさきに」と「いちばんはじめに」、相手の先を行き騙そうとする「いちばんさきに」、よく見え、よく気がつく、それ故の「いちばんはじめに」、双方ともがましろなのです。
※「しろいうさぎがやってきて」エリック・バテュ作/もきかずこ訳/フレーベル館
※「うさぎたちのにわ」レオ=レオニ作/谷川俊太郎訳/好学社
※「子うさぎましろのお話」ささきたづ文/みよしせきや絵/ポプラ社
(英語教育講座)