〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.30 2012年9月号
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■ 本当の優しさとは何かを教えてくれるこの一冊


武田美穂作・絵『ますだくんの1ねんせい日記』(ポプラ社)

斎藤 加奈子

 『となりのせきのますだくん』も『ますだくんの1ねんせい日記』も、ますだくんと隣りの席のみほちゃんの話です。2冊の違いは、みほちゃん目線かますだくん目線かにあります。前者では、ますだくんは恐竜の姿で登場します。みほちゃんがますだくんをいじわるな子と恐れているからです。算数の授業の時、答えが分かっているのに手を挙げないと、ますだくんは無理やり挙げさせようとします。頭が良くて、積極的なますだくんには、みほちゃんの自信の無さが理解出来なかったのかもしれません。後者を読むと、ますだくんの乱暴な行動は、全てみほちゃんのためを思ってのことであったのがわかります。本当はとても優しい男の子なのです。ますだくんに言わせると、みほちゃんは出来ないのではなく、逃げているだけ。それに立ち向かわせようとするますだくんの行動力が、みほちゃんには恐竜のように見えてしまったのです。
 みほちゃんの誕生日会がありました。ますだくんのことをよく思っていないみほちゃんは、ますだくんを招待しませんでした。ますだくんは平気なふりをしていますが、面白くありません。次の日、みほちゃんは友だちからもらった鉛筆を大事そうに持ってきます。その鉛筆がますだくんの方へ。ますだくんが鉛筆を放り投げると、転がっていった鉛筆は、走ってきた男の子に踏まれ、折れてしまいます。みほちゃんは「ますだくんの! いじわる」と大泣きしてしまうのです。鉛筆を持ち帰ったますだくんは、鉛筆を直し、謝る決心をするのです。しかし、鉛筆を真っすぐにするのは思った以上に難しいことでした。「ぼくって ぶきようだったんだ しらなかった なあ・・・」と言うますだくん。ますだくんはみほちゃんの出来ない気持ちが初めて分かったのかもしれません。何とか真っすぐにと奮闘し、朝を迎えます。学校の門の所でみほちゃんを待ち構え、「ご ご ご ごめんよっ」と謝ります。不器用で乱暴な謝り方ですが、気持ちはしっかりと届いたのでした。
 ますだくん目線で読むことによって、ますだくんの優しさと強さがよく分かります。みほちゃんは気づいていないのかもしれせんが、ますだくんの少々乱暴な優しさと強さによって出来るようになったことがたくさんあるのです。ますだくんもみほちゃんと接していく中で、本当の優しさを身につけていくのだと思います。 

(英語コミュニケーションコース4年)


■ 新刊紹介


きむらゆういち文・田島征三絵『おもいのたけ』(えほんの杜)


 オンドロロン、オンドロロン、洞窟から奇妙な音が聞こえてきます。誘われるようにして入っていったタヌキには、音を出すキノコがにくらしいキツネの顔に見えたのです。「こら! そこのキツネ。ぼくは、あんたが だいっきらいなんだ。」タヌキの叫び声を浴びたことによって、キノコは「ほんの すこしだけ ムクッと おおきくな」りました。つづいてやってきたリスの子には、同じキノコがお母さんに見えます。「あのさあ、かあちゃん。・・・なんで いつも がまんしなくちゃ ならないのさ。」リスの子の叫び声を浴びて、キノコの数が「すこしだけ ニョキニョキッとふえた」のです。しかし、キノコに向けられるのは悪口だけはありません。イノシシの男の子の顔に見えたブタの女の子は、募る思いを吐き出します。面と向かって奥さんに感謝のことばをかけられないヤマネコは、「ありがとう」と言うのです。ここには愛もあり、お礼もあるのです。それぞれがそれぞれに思いの丈をぶつけ、語ることで、キノコは「どうくつの てんじょういっぱいにまで ふくれあがっ」ていきます。それはふくれ上がる堪忍袋を思わせます。違いがあるとすれば、投げ入れられるのが悪態のみの堪忍袋に対して、悪態も愛もすべてを受け止めるキノコは、神様だということです。「たけ」(筍)、つまりはキノコに思いの「たけ」(丈)をぶつけ、聞いてもらう、そのためにキノコは「おもいのたけ」と呼ばれるようになったです。
 キツネの悪口を言ったタヌキが、タヌキの悪口を言ったキツネが、祭りの行われる広場へと集まってきます。そこへキノコが、「じぶんが さけんでるときの かおになっておいかけてくる」のです。そして、「パーン」、キノコがはじけました。はじけたキノコは、神様から緒が切れた堪忍袋に。「どうぶつたちの おもいも キノコといっしょに はじけちって きえた」のです。キノコは胞子となって飛んでいきます。タヌキやキツネのところに「おもいのたけ」となってまたやって来るとすれば、日々のうっぷんが溜まった頃に違いありません。溜まったものを祭りに合わせてはき出す、はき出す頃に祭りを迎える、その意味で「おもいのたけ」は祭りそのものと言えるのです。

(藤田 博)
発行:宮城教育大学附属図書館


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