■ 繰り返しの力
藤田 博
ロシア民話・せたていじ訳・わきたかず絵『おだんごぱん』(福音館書店)は、「こなばこを ごしごし ひっかいて、こなをあつめ」て、「だんごに まるめて」、おばあさんが「おだんごぱん」を作ることに始まります。できたおだんごぱんが、「まどから ころんと、いすのうえ。いすから ころんと、ゆかのうえ。ゆかから ころころ、とぐちのほうへ」転がっていきます。「おまえを ぱくっと たべてあげよう」と声を掛けてきたうさぎから逃げ出し、おおかみから逃げ出し、くまから逃げ出すおだんごぱんには、うぬぼれが積み上がっていきます。「ぼくは、おじいさんからも、おばあさんからも、うさぎさんからも、おおかみさんからも、それに、くまさんからも、にげだしたのさ。あんたからも、にげだすよ」きつねがおだんごぱんを「はなの うえに」、「したべろの うえに」乗せてしまうのは、それを利用してのこと。積み上げてきたものが、「ぱくっ」、一瞬にしてきつねの腹の中に納まってしまうのです。
ラトビア民話・うちだりさこ再話・すずきこうじ絵『ひつじかいとうさぎ』(福音館書店)の始まりはうさぎが逃げ出すこと。羊飼いが後を追います。つかまえてくれるようおおかみに頼むと、「じぶんで つかまえな。」おおかみをなぐってくれるようこんぼうに頼むと、「じぶんで なぐったらどうだい。」こんぼうを焼いてくれるよう火に頼むと、「じぶんで やきなよ。」火を消してくれるよう川に頼むと、「じぶんで けすと いいわ。」 川の水を飲んでくれるよう牛に頼むと、「じぶんで のむんだな。」牛を食べてしまうようくまに頼む、これには「じぶんで くうんだな」との答えが予想されます。その予想を裏切って、反転します。くまは牛にとびかかり、牛は川の水を飲みにかかり、・・・おおかみはうさぎをつかまえにかかり、そうしてうさぎは羊飼いの手に戻るのです。逃げたのはうさぎ、『おだんごぱん』では出会った最初がうさぎでした。そして、きつねの前がくま。くまのところで繰り返しの数が最大になり、積み上げの量が最大になっているのがわかります。うさぎで始まり、くまで反転に変わるところはないのです。
お母さんの誕生日のお祝いを探しに出た「だにー」は、何がいいかをめんどりに聞きます。「うみたての たまごを ひとつ あげましょう。」「たまごなら、もうあるの」、そこで、「それじゃ、いっしょに」となり、「だにーと めんどりは、ぴょんぴょん、かけていくのです。つづいてはがちょう、「わたしの はねを あげましょう。」つづいてはやぎ。つづいてはひつじ。つづいてはうし。「やまの もりに すんでいる くまさんに きいてみたら」となったところで、「わたしは、ごめん!」「わたしも、ごめん!」だにーは一人、くまのいる森へと歩いていきます。めんどりが、がちょうが、やぎが、ひつじが、うしがだにーの後についてくる、 それでいてついてこないことが、一人のだにーを強調する、それ以上にくまの怖さを強調しているのです。「怖い」そのくまが「だにーを だきしめて、ないしょで、おしえて くれ」たものは、ハグをプレゼントすることだったのです。「あてて ごらんなさい」と言われたおかあさんは、「たまごかしら?」「まくらかしら?」と繰り返すものの、「どうしても わかりません。」すべてわかっている、読めているにもかかわらず、ハグがわからないのは、他のものとはそれだけが大きく違うことに加えて、くまが教えてくれたものということなのです。マージョリー・フラック文・マージョリー・フラック・大沢昌助絵・光吉夏弥訳『おかあさんだいすき』(岩波書店)の繰り返しの世界です。
まったく同じもの、わずかに形を変えたもの、繰り返されるものにはその二つがあります。積み上げと受け止められるのは後者です。繰り返しであって繰り返しでないこの形によってリズムがつくり出され、ネガティヴなものとしての繰り返しを逃れ、ポジティヴなものとの受け止めがなされるのです。次へとつながる期待、そこで引っくり返る期待、双方が生まれるからです。これは遊び特有のリズム、繰り返し、積み上げることがその遊びの世界へと誘ってくれるのです。
※おだんごぱん/ロシア民話・せたていじ訳・わきたかず絵/福音館書店
※ひつじかいとうさぎ/ラトビア民話・うちだりさこ再話・すずきこうじ絵/福音館書店
※おかあさんだいすき/マージョリー・フラック文・マージョリー・フラック・大沢昌助絵・光吉夏弥訳/岩波書店
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