■ 既視のよろこび−「ぼく知ってる」と子どもが得意になれる本−
島森 哲男
ここは韓国のとある村。外は雨。わらぶき屋根の小さな家。おじいさんは昼寝。おばあさんは縫い物。ふと見るとおじいさんの鼻から白い小さなねずみがちょろちょろ出てきて庭へ。でも水たまりで先へ進めません。おばあさんが縫い物のものさしで橋を架けてやると、ちょこちょこ渡ってずっと向こうへ。おばあさんはどこへ行くのかねぇとついていきます。するとみちばたに牛のふん。ねずみはそれをぱっくんぱっくん食べると、やがて田んぼを過ぎ、村を出て、山道にさしかかり、石垣の穴にふっと消えていきました。
おばあさんが家にもどってしばらくすると、あのねずみがもどって来ておじいさんの鼻の中へするするっと入ったではありませんか。やがて目覚めたおじいさんがいま見たおかしな夢の話をします。大きな川があって渡れずにいると、大きなばあさんが橋をかけてくれた。それからきびもちをしこたま食べて、しばらくいくとほらあなを発見。そこにはなんと…。それを聞いたおばあさん、そこへ行きましょうと、やおらおじいさんをひっぱって石垣へ。あなを掘るとなんと…。
白いねずみの動きを外から見ていたおばあさん。水たまりのものさし、牛のふん。ねずみの体験を夢として見ていたおじいさん。大きな川の橋、きびもち。あなの場所は知っているけれど中は見ていないおばあさん。あなの場所は知らないけれど、その中を夢で見ているおじいさん。この絵本の読者は3回同じ道をたどることになります。最初はおばあさんといっしょに、2回目はおじいさんの夢として、3回目は走り出したおじいさんとおばあさんを追いかけて。読者はすでに一度通った道をたどるのですから、立派な橋や山盛りのきびもちが何だか知っています。ちょっと得意な気分。ここに見える大きな手、だれのだか分かる?おかあさん。このきびもち、ふふっ、何だか分かる?「ぼく知ってる」と子どもが得意になれる本です。そして最後のページ。家は瓦ぶきで庭も広く、おばあさんの服も花の刺繍のチマチョゴリ。はじめは白い服だったのにね。あっ、見て見て!おばあさんの鼻から白いねずみが!どこへいくのかなぁ? ついていってみようか、おかあさん。
似た話は日本にもあります。田んぼで昼寝をする二人のお百姓さん。鼻から出てくるのはねずみではなくてチョウやハエ、アブ。田んぼの用水路。牛のくそ、馬のくそ。白ツバキの木の下のかめ(甕)。それが広い広い川を渡り、大ごちそうを食べて…、という夢に。水沢謙一著『蝶になったたましい』という本に新潟県の夢の民話としてたくさん集められています。
そういえば、おばあさんが水たまりに渡してあげたものさしには、かざり模様に北斗七星が彫られていました。北斗七星は運命の神さま。水たまり(境界/困難)を越え運命を開く橋をおばあさんは知らないうちに架けたのですね。
※「ふしぎなしろねずみ―韓国のむかしばなし―」チャン・チョルムン文/ユン・ミスク絵/かみやにじ訳/岩波書店
※「蝶になったたましい―昔話と遊魂信仰―」水沢謙一/野島出版
(国語教育講座)