■ 新刊紹介
ハナ・ドスコチロヴァー・作/ズデネック・ミレル・絵/木村有子・訳
『もぐらくんとみどりのほし』(偕成社)
「つちのなかのいえは、あめがふったあとのような、たいようがみずあびをしたような、においがします。」春がやってきたことをうれしく思う、土の中に暮らすもぐらほどにその思いが強いものはないのかもしれません。「もぐらくんが、いちばん わくわくするのは、つちのうえに かおをだすとき」(『もぐらくんとパラソル』)、春となればなおのことに違いないのです。
うさぎを招待するため天井の穴を大きくしていたもぐらは、石が割れ、光るものが飛び出したことに気づきます。「みどりのいし」です。「みどりのいしがそらでかがやいたら、きっといちばんきれいなほしに なるだろうなあ」、「そうすれば、・・・みんなが、ながめることができる」、もぐらはそう考えます。一つまた一つと石を積み、その上によじ登って空を目指すものの、到底届きません。うさぎの上に10匹のかえるが肩車をします。それでも届きません。3羽の小鳥が口にくわえて運ぶことに。ようやく舞い上がったその時、「もっともっと、はばたいて!さもないと、おちるわよ!」と「おしゃべりカササギ」がちょっかいを出します。小鳥にしゃべらせることで口を開かせ、「みどりのいし」を落としてしまおうとの魂胆です。小鳥が高く舞い上がる、上がってはカササギが口を出し、また落とすの繰り返しです。
「1000かぞえるあいだに、このいしは そらで、かがやきはじめるから、ずるをしないで、ちゃんとかぞえるのよ。」ずるをするのはカササギの方、5までしか数えることのできないもぐらが1から数え直しするのを知っているのです。積み上げたものが元へと戻る、ここに見えているのも「落下」です。その間にカササギは「みどりのいし」を盗んでしまいます。「なみだが、みどりのいしにおちました。」その時、「みかづきが、もぐらくんのすぐちかくまで すうっとおりてきた」、「落ちてきた」ではなく「下りてきた」のです。三日月に乗ったもぐらは、「みどりのいし」を流れ星が去った穴に。「ほらね、あそこ」、みんなが見上げるのは、地上に戻ったもぐらが指さす先に光る「みどりのいし」なのです。
「おしゃべりカササギ」、「泥棒カササギ」のために「落下」が繰り返されます。その度にもぐらの思いは高みへと登り、石は輝きを増していくのです。「みどりのほし」にこだわったのは、地中に棲むもぐらだからこそのこと。「みどりのほし」は、地中で眠っている間にもぐらが夢見つづけた空へのあこがれ、それが結晶化したものと言えるのです。
(藤田 博)