〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.21 2012年1月号
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■ 子どもの心の声に耳を傾ける大切さを教えてくれるこの一冊

くすのきしげのり作/石井聖岳絵『おこだでませんように』(小学館)

笠野 茜


 「ぼくは、いつもおこられる。いえでも がっこうでも おこられる。」妹の面倒を見ていたのに、お母さんから怒られ、最初に仲間外れをしてきた友だちが悪いのに、先生から怒られる。本当は「おかあちゃんに いつも きれいで いてほしいのに」、「そんな おこった かお しとったら、しわが ふえるで」と言っては怒られる。「あーあ、ぼくは いつも おこられてばっかりや。」
 よかれと思ってしただけなのに、褒められたいと思ってしただけなのに、なぜか怒られてしまうのです。怒られてばかりのその「ぼく」が、七夕様に「いちばんの おねがい」を書きます。習ったばかりのひらがなで一生懸命に書いたのは、「おこだでませんように」。文はめちゃくちゃ、「ま」の字に至っては鏡文字、それでも、「ぼく」の思いが込められたその短冊を目にした先生とお母さんは、それまで怒ってばかりいたこと、「ぼく」の気持ちをわかろうとしなかったことに気付くのです。「ぼく」の思いは伝わりました、願い事はさっそく叶ったのです。
 「お姉ちゃんなのだから」とよく怒られたこと、本当はこうなのにと説明しようとすると、「ああ言えばこう言う」と、「ぼく」のように怒られたこともありました。幼いながらに、「子どもの気持ちを理解できる大人になるぞ」と決意したこともあったと、懐かしい気持ちになりました。あの時のあの決意はどこに行ってしまったのでしょうか。子どもに向かって感情むき出しになったり、自分の都合で接したりしてはいなかったろうかと、自分の言動を振り返りました。先生になり、親になったら、子どもの心の声にしっかりと耳を傾けよう、子どもの本当の気持ちを理解できる大人になろうと決意を新たにさせてくれた一冊です。

 

(英語コミュニケーションコース4年)


■ 新刊紹介

ルイーズ・ボーデン作/ニキ・ダリー絵/ふなとよし子訳
ピートのスケートレース』(福音館書店)

 
1941年12月、ドイツ軍占領下にあるオランダです。「ぼく」ピート・ヤンセンは、11の町をスケートで一日で回ったピム・ムリエイルにあこがれを抱いています。「ぼく」に限らず、「歩けるようになるとすぐに、スケートを教えてもらう」オランダの子どもにとって、ピムはヒーローであり、ピムの偉業を記念して始まった「エルフステーデントホト」(11の町のレース)に出ることは夢なのです。
 ヨハンナ・ウィンケルマンの父は、無線機を使ってイギリスと交信したことを理由に、ドイツ軍に連行されてしまいます。母は、ベルギーのブリュッヘのおばに、ヨハンナと弟ヨープを預ける決心をします。その仕事を任されるのが、満点の答案を手に学校から帰ったばかりの「ぼく」なのです。ドイツ軍の監視下で国境を越えるその「旅」は、命がけ。凍った「大運河」を「矢のようにまっしぐらにすべる」必要があります。それでいて、遊んでいるふりをしなければならないのです。国内11の町をできる限り速く回ることを目指したピムには、求められなかったものです。
 ブリュッヘを目指す「ぼく」にとって、橋は大事な目標です。その橋には決まってドイツ兵がいます。橋にかかると「クルーネン」(「スケートをはいたまま運河からあがって道を歩き、また運河におりる」こと)する必要があります。見とがめられる率が高くなるのです。案の定、11の町を書き込んだ赤い手帳が見つかってしまいます。「エルフステーデントホト」を説明することで難を逃れた「ぼく」は、とっさの思いつきを口にします。「この書き取りも・・・ブリュッヘのおばさんに見せようと思って。満点なんだ!」答案を持っていたことから出た命がけのうそです。「ドキン・・・ドキン・・・ドキン・・・心臓の鼓動が、土手をつつむ静けさの中にこだまするよう」でした。
「19番地で、ドアは濃い空色」、目指すヨハンナのおばイングリッドさんの家にたどり着きます。「ブリュッヘ着:1942年1月23日午後5時16分」、11の町それぞれで、「どこかの家のドアをノックして」赤い手帳にサインを求めたピムに倣って、ヨハンナ、ヨープ、イングリッドさんに赤い手帳にサインをしてもらうのです。帰る「ぼく」がヨハンナに言います、「最後にもうひとつ!あの言葉を氷につづってみて!」「あの言葉」とは、「エルフステーデントホト」。ピムの200キロに比べればはるかに短い16キロ、それでも、「あれがきみの最高のスケートレースだった」と町の人はいまでも言うのです。「あの冬、ぼくは10歳だった。」これは、ピート10歳のときの思い出なのです。

(藤田 博)


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