■ 新刊紹介
あまんきみこ・文/こみねゆら・絵『つきよはうれしい』(文研出版)
学校からの帰り道、ようくんとフジの花を見上げていて、バイクにはねられた「わたし」、手術が終わり、意識が戻ると、病室での「パパと ママの あおい かおが、ふかい あなの そこから みあげたよう とおくに」見えます。ようくんは毎日、見舞いに来てくれます。マダイ、タラ、ボラ、ドンコ、ミノカサゴ・・・、「さかなの えを かいて、まいにち、一まいずつ もって」です。ようくんのお父さんは、水族館の館長なのです。病院にいる2週間で、「フジの はなは、みんな、ちってしまってい」ました。ようくんの魚の一匹一匹が、花びらの一枚一枚に置き換わる、それによって足の傷はよくなり、退院できたかに思えるのです。
それでも心の傷は癒えていません。「いえの なかでは、あるけても、がっこうに いくあの みちは、あるけない」、そう言う「わたし」を、ようくんは、毎日、見舞ってくれます。カゴカキダイ、マフグ、アカエイ、イシナギ、ギバチ・・・、「ちがう さかなの えを、一まいずつ もって。」「すいぞくかんって、いっぱい、さかなが いるのね。まだまだ、いる?・・・じゃあ、まだまだ、がっこう、やすめるわ」学校を休む、そう思う「わたし」の中に非日常的時間が広がります。「そうだ、きょうから、つきよなんだ」、ようくんのその言葉には、そこから夢の世界へと入った「わたし」が示されているのです。
「わたし、よなかに、めが さめたの。」「みずいろの カーテン」の向こうから歌声が聞こえてきます。「つきよは うれしい うみの そこ ほーい ほい」ようくんが窓から外へと「わたし」を連れ出します。「永遠の子ども」ピーターパンとしてのようくんをつくり出し、迎えにきてもらう、それを可能にしているのはイメージのつながりです。「ふかい あなの そこ」、「すいそう」、「さかなの え」、「みずいろの カーテン」、それがフジの花の「いろ」に通じているのは言うまでもありません。「みんな、せまい すいそうから でてきて、ほんとうに うれしそう。」ようくんが、そして「わたし」が魚と一緒に泳ぎます。「つぎの ばんも。その つぎの ばんも。まいばん、およいで、わたし、ぐっすり ねむったの。」眠ることで「わたし」は、「フジのはな」から解き放たれたのです。「むねが きゅんとなるほど、がっこうに いきたくなった」のはそのためです。「あの フジの はなの みちも、へいきで とおれた」のです。教室に行くと、ようくんが「つきよの ときのように、てを ふって」笑います。「すこし、あかくなったみたい。」
(藤田 博)