■ 新刊紹介
日高敏隆・文/大野八生・絵『カエルの目だま』(福音館書店)
「おれの目だまは世界一、こんなにりっぱでおおきくて、キラキラひかって玉のよう、こんなステキな目はないぜ!」、トノサマガエルはそう言って自慢します。水にもぐっていても、目が水の上にあって、よく見えるからです。それを聞いたギンヤンマが、負けじと自慢します。「おまえの目だまはただのデメ、世界一とはわらわせる。このおれの目さ、スゴイのは!・・・おれの目だまはトビキリの とくべつせいの『複眼』だ。」「まだまだはやいよ、いばるのは!」、今度はミズスマシです。「なるほど、きみの複眼は はなしのとおりすばらしい。でも、もっといい、ぼくの目は!」どこから来る敵でも見えるように、左と右の目が二つに割れてきたというのがその理由です。ミズスマシは、「上の目だまと下目だま。・・・四つの目だまをもっている」のです。「やっぱりおいらの目なんかは、ただのデメだな。ああ、かなしい!」、負けたのを知ったトノサマガエルは、「おおきな目だまに手をあてて、オロン、オロンとなきました。」
「カエルの目だまはカエルの目、とってもうまくできている。ヤンマの目だまはヤンマの目、こいつもうまくできている。みんなそれぞれじぶんには、チャンとあう目があるんだよ。」みんなはそう言ってカエルをなぐさめるのです。みんなの声に託した、観察と研究の上に立つ動物行動学者のメッセージがここにあります。体のすべて、とりわけ目はその動物に合ったもの、従って、誇ることに意味があっても、いばることに意味はないとのメッセージです。この自慢比べに人間も参加したら、図抜けた目を持つ人間は、それによって手にした文明を含めて驕るに違いありません。それをいましめるメッセージまでが、ここから聞こえてくるのです。
一昨年に没した1930年生まれ動物行動学者が、1951年、21才のときに書いた、それを絵本にしたものです。最初(最初でないとしても、それに近いのは確実)に書いたものにその後のすべてがとはよく言われること、人間中心のものの見方に動物の目から見直しをかけつづけた基本姿勢が、ここには見えているのです。
(藤田 博)