■ ■ 思い出すことのできる幸せ
藤田 博
ドレーセン作・ベスターダイン絵『おもいでをなくしたおばあちゃん』(朝日学生新聞社)のペトラとママは、老人ホームのおばあちゃんに会いに行きます。電車の中、ママは窓の外ばかりながめています。ホームにはたくさんの窓、その一つがおばあちゃんです。窓の前に立ち、外をながめるおばあちゃんに、ホームへの坂を登ってくる二人は目に入っているはず。それなのに、「おばあちゃんは、ペトラが手をふっても知らんぷり」なのです。
「おくさま、コーヒーはいかがですか」、おばあちゃんがママにそう尋ねます。「わたしはスティーナ。あなたのむすめなのよ」、ベンチに座るママがおばあちゃんの肩を抱いてそう言っても、「わたしには むすめは おりません。むすめは なくなりました。6さいのとき 川でおぼれたのです。」ママがため息混じりに応えます、「それは妹のエマよ。」おばあちゃんは覚えているのです。記憶としては残っている、それでいて思い出すことができないのです。ペトラが歌い出します。おばあちゃんは、はっと目を見開いて顔を上げます。「どうして おまえが その歌を知ってるんだい?」その歌はペトラがママから教わったもの、ママはママのママ、おばあちゃんから教わったもの。「もういちど歌っておくれ、さあ」、そう言って歌に耳を傾けるおばあちゃんの口から出たのは、「エマ。おまえは エマなんだね。」
窓の前に立つおばあちゃんが、帰っていく二人に手を振ってくれました。見えていて見えていない窓が、残りながら思い出すことのできない記憶を表すものとなっているのです。
湯本香樹実文・酒井駒子絵『くまとやまねこ』(河出書房新社)は、くまの仲良しであったことりの死に始まります。その死を嘆き悲しむくまは、小さな箱にことりを納めます。「いつも、どこへいくにも、くまはことりをいれたその箱を もってあるくようになりました。」くまは家の扉に中から鍵をかけます。久しぶりに扉を開けたくまの目に、空の雲が初めて見るものに映ります。土手で昼寝をしていたやまねこは、くまがやって来たことがわかると片目を開けます。そろそろやって来るころ、そう思ってやまねこは寝ているふりをしていたのかもしれないのです。「きみのもってるきれいな箱のなかをみせてくれたら、ぼくもみせてあげるよ」、やまねこのことばによって、ことりの入った「すてきな箱」とやまねこの「おかしなかたちの箱」とが交差します。箱から出てきたバイオリン、やまねこが奏でるその音を聞きながら、くまは目を閉じます。「ことりといっしょにした たのしかったことを、ひとつひとつ」思い出すのです。
やまねこはくまを誘い、旅に出ます。思い出から外へと連れ出す、その意味において忘れさせる、それでいて忘れることのない思い出とするのです。やまねこがくまに差し出したのは、手の痕がたくさんついた「ずいぶんふるいタンバリン」です。やまねこにも一緒だった大事な友がいた、その大事な友を失う悲しみを知っている、思い出すことを知っているのがわかるのです。
アナグマが友だちに贈った「おくりもの」の物語、スーザン・バーレイ作・絵『わすれられないおくりもの』(評論社)は、死んだアナグマの手紙に始まります。「長いトンネルの むこうに 行くよ さようなら アナグマより」
雪が降り積もります。賢く、もの知りで、いつもそばにいてくれたアナグマの死を嘆く仲間を覆い尽くします。春になり、それぞれがアナグマの思い出を語り始めます。モグラは、手をつないだモグラを一枚の紙から切り抜く方法、カエルは、スケートの滑り方、キツネは、ネクタイの結び方、ウサギは、しょうがパンの焼き方を教えてもらいました。「別れたあとでも、たからものとなるような、ちえやくふうを残してくれた」のです。アナグマの「おくりもの」は、見返りを求めることがありません。記憶されることを望んでいない、思い出の上を行くもの。それだけ深く思い出に残るのです。
ペトラは、ママから教わった歌を子どもに教え、くまは、やまねこから教わったタンバリンを誰かに教えるに違いありません。モグラやカエル、キツネ、ウサギがアナグマの思い出とともにそうするように。教わったことが思い出とともに伝わるそこに、思い出の鎖ができるのです。
※おもいでをなくしたおばあちゃん/ジャーク・ドレーセン作/
アンヌ・ベスターダイン絵・久保谷洋訳/朝日学生新聞社
※くまとやまねこ/湯本香樹実文/酒井駒子絵/河出書房新社
※わすれられないおくりもの/スーザン・バーレイ作・絵/小川仁央訳/評論社
(英語教育講座)