■ 生命へのあたたかいまなざし
平野 晶子
「こだまでしょうか」
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。
この詩はテレビのCMで取り上げられたため、多くの方がご存じではないかと思います。今回、私が紹介する『わたしと小鳥とすずと』は、タイトルと同じ題名の詩、「私と小鳥とすずと」や「こだまでしょうか」が掲載されている、金子みすゞの童謡集です。
私が金子みすゞを初めて知ったのは小学生6年生の時、担任の先生が暗唱してくれた「つもった雪」という詩を通してでした。当時は金子みすゞという作者名も知りませんでしたが、雪の気持ちになって書かれているその詩は、それまでに出会ってきた詩とは何か違うと、小学生であった私なりに感じたものがあり、ずっと心に留めてきました。
「つもった雪」
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面もみえないで。
次の出会いは大学生になって、高校の恩師に会いに行った際、「すばらしい詩人がいる」と紹介され、その名前が金子みすゞであること、そして小学校の時に暗唱してもらって以来心に留めてきた「つもった雪」も金子みすゞの作であることを知りました。
私はさっそく、「つもった雪」が掲載されている『わたしと小鳥とすずと』を購入して読み、金子みすゞの紡ぐやさしく、清々しい詩のどれもが大好きになりました。一つ一つの作品は短く、私たちの身近にあるものが題材であり、子どもたちが普段使っているような言葉で書かれています。子どもが日々を過ごしていく中、思ったこと・感じたことをそのまま写し取っているかのようです。どの作品も簡潔で素朴なものばかりなのですが、詩を一つ読むごとに私の心には新しい世界が広がっていくように思われました。それまで何気なく生きてきた世界の新たな一面が見え、周りに息づく多くの生命に気付くことができた、そんな喜びと感動を覚えることができたのです。
この本は『金子みすゞ童謡集』となっています。童謡とあることから、子どものためのものと思われるかもしれません。しかし、この本に書かれた詩は、大人になっていくほど、新鮮な感動を覚えるものではないかと思います。それは、もしかすると、私たちが大人になり、常識の中でばかり物事を見るようになっていくに従って遠ざかってしまう、子どもの頃に感じていた世界の新鮮さや不思議さを金子みすゞの詩が思い出させてくれるからなのかもしれません。
私は幼稚園に勤め始めて、この童謡集を度々読み返すようになりました。子どもたちと毎日、生活をしていく中で持ち続けたいと思っている、身近な物事に対する興味と、それらに生命を感じて愛しむ心を、金子みすゞの詩が思い出させてくれる気がするからです。金子みすゞの詩を読むたびに、沢山の生命が満ちあふれる、すばらしい世界に生きているのだという喜びを感じることができるのです。
※「わたしと小鳥とすずと」/金子みすゞ/JULA出版
(附属幼稚園教諭)