■ 新刊紹介
いせひでこ『まつり』(講談社)
「大きな木よ。じっと記憶する木よ。おまえが見てきたものに、わたしは耳をすます。」いせひでこ『大きな木のような人』(講談社)で、そう木に語りかけたパリの植物学者、「きみの大きな木」から、さえらに手紙が届きます。「木の先生」が、秋10月に日本に来るのを知らせる手紙です。
やって来た「木の先生」は大きなカシの木に手を触れます。「おじいちゃんのおじいちゃんのころから この家を守ってきた」木です。おじいさんのおじいさん、そしておじいさんを見てきたその木が、さえらをいま見ているのです。「木の先生」に、芭蕉が「奥の細道」で旅した杉並木を案内します。芭蕉が目にした杉並木、同じものを見ることによって時間の重なりが生まれ、芭蕉とのつながりが生まれます。
「木の先生」に「ちんじゅの森のおまつり」を案内します。羽織、袴の正装したおじいさんに、「かっこいいですネ。いつもとちがいますネ。」と「木の先生」が声をかけます。違うのは、祭りの日には、いつもとは違った時間が流れるため。違ったものにするために、違った装いをするとも言えます。今年が「出番」の女の子は、自分の名前を提灯に入れてもらいます。さえらもその一人、「世界にたったひとつ、この日の自分が今夜、灯りにともされる」のです。「たったひとつ」が意味するものは、特別なもの、聖なるもの。手古舞の衣装をつけ、さえらが踊るハレの日です。
屋台が繰り出します。イチョウやトチ、ヤナギから作られる屋台は、その地に育った木が形を変えたもの、木に籠もった長い時間が屋台へと移るのです。「ここらで一番のじいさんケヤキが、葉のない枝をわさわさふるわせ」、特別な日であることを告げています。「今夜、ちんじゅの森は、ねむりません。」
長い祭りの一日を過ごしたさえらは眠ってしまいました。「さえらは、どんな木に育ちますかね。・・・」そう言うのは、さえらをおんぶした「木の先生」と並んで歩くおじいさんです。おじいさんは庭師、さえらは庭師のおじいさんの孫なのです。
(藤田 博)