■ 新刊紹介
斎藤惇夫『哲夫の春休み』(岩波書店)
父の故郷、長岡へ向かう列車の中で、哲夫は同じく長岡へ向かう順子(なおこ)と出会います。その車中で時間の揺れ、切れ切れの形でのタイムスリップ(こちらが向こうの世界に入り込むのではない、向こうの世界のものが幻となって現れるこれをタイムスリップと呼べばということ)が始まるのは、順子のためと言えるのです。順子は哲夫の父の一つ下、同じ学校に通っていた同窓生、そして、みどりの母です。哲夫は12才、4月からは中学生に。その哲夫の、春休みを利用しての一人旅です。春休み、12才、時間を飛び超える要素はそろっていることになります。「春休み」には、時間の止まった休暇の意味が、円を象徴する「12」には円環的時間が示されているからです。
長岡に着いた哲夫は、父の住んでいた家の跡を訪ねます。「あなたを待っていたのよ ずうっと ずうっと待っていたの。」とのささやき声が聞こえてきます。見えてきたのは、子どものときの父。そこにあるのは、目の前にいる小さな男の子が自分の父である奇妙さです。見覚えのある時計を目にします。「お母さん」のその時計は、浦和の家のおばあさんのもの。「おばあさん」が焼いた栗を口の中に入れてくれます。その甘い香りが口に残ります。
哲夫とみどりが信濃川の土手を行きます。強い風が吹きつける、その時二人が見たものは、岸辺で遊ぶ幼いころの哲夫の父の姿です。流れつづける川が、時間を後戻りさせる形で見せてくれたのです。
雪の積もった神社の参道、その石段を順子と哲夫とみどりが上ります。雪は積み重なる時間の象徴と同時に、めぐり来る時間の象徴です。順子は長岡で過ごした十代最後の春休みへと戻っていきます。「あの時」を追体験する母、その若い母がみどりの目の前にいるのです。幼い父を見る哲夫、若い母を見るみどり、哲夫の時間の中にいる父、みどりの時間の中にいる母、そして、その逆、含む、含まれるの関係が見えてくるのです。
「ガンバの冒険」シリーズの三作目『ガンバとカワウソの冒険』から28年ぶりの作品です。川を遡るガンバとカワウソ。そこでの「大川」に重ねられていた故郷、長岡を流れる信濃川が、ここでは真ん中をとうとうと流れているのです。
(藤田 博)