■ こわいけど読んでほしい絵本
越中 康治
かわいく見えないこともないけれど、大人になった今でもやっぱりちょっとこわい気がするのが、この本の表紙のこのおばけです。せなけいこの『ねないこだれだ』をはじめて読んだのはいつだったか、どうしてこの本をこわいと思うようになったのか、今となってはまったく思い出すことができません。それでも子ども心に何となくこわいと思って以来、私の心の中では、そのイメージが今日まで持続しているようです。この何となくこわいという思いは、「夜中にあそぶ子がおばけにされて、おばけの世界に連れていかれて、それでおしまい」というストーリーによるものなのか、このちぎり絵がもつ不思議な力によるものなのか、それとも…。
ちょっとこわい本だと思いつつも、私はこれを生まれたばかりの娘にプレゼントしました。正確に言うと、娘が生まれた当時住んでいた山口県防府市の社会福祉協議会からいただいた(妊娠届出時に複数の絵本の中からほしいものを二冊選んだら、生後それを母子保健推進員が届けにきてくださった)のですが、いずれにせよ私たち親から娘にプレゼントした最初の絵本です。私たち親は、それこそ首がすわる前から、娘に何度もこの絵本を読み聞かせました。娘は最初はぼんやり眺めているだけでしたが、やがて自分から絵に手を伸ばしたり、ページをめくったりするようになりました。
そのうち這ったり歩いたりするようになると、娘は読んでほしい本を親のところへもってくるようになりました。幼い娘にも好みがあり、その好みも時々で変わりましたが、『ねないこだれだ』は特にお気に入りの一冊のようでした。何度も何度も読み聞かせているうちに、私たち親はまもなく暗唱できるまでになってしまいました。娘が1歳を過ぎた頃からは、おばけの雰囲気を出そうと、妻が声色や表情など、読み方にも工夫を凝らすようになりました。娘は妻の迫真の演技に驚き、顔を強張らせつつも、こわいもの見たさで繰り返し、多いときには20回以上連続で読み聞かせをせがみました。
娘が1歳半を過ぎた頃、妻の演技はおどろおどろしくエスカレートして最高潮に達したかに見えました。そんなある日、「こわいけど読んでほしい」という恐怖と期待の入り混じった感情がついに均衡を失ったようで、娘は本の表紙を見ただけで泣き出してしまいました。それ以来、自分からこの本をもってくることは皆無となり、私がやさしく読み聞かせようとしても怒って本を払いのけるようになりました。もうすぐ2歳を迎える最近になって、私がひとりで声に出して読んでいるのをちょっと遠巻きにのぞき込んだりするまでに回復しましたが、この本がこわいという思いは決定的になったようです。
かわいく見えないこともないけれど、大人になってもやっぱりちょっとこわい気がするのは何故か。うちの娘が大人になった時には、幸か不幸か、その理由をはっきり教えてあげることができます。
※「ねないこだれだ」せなけいこ作・絵/福音館書店
(学校教育講座)