〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.16 2010年5月号
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■ 大好きな絵本の感動を伝える授業

武山 幸一郎


学生時代、大人になって初めて買った絵本が佐野洋子作・絵『100万回生きたねこ』でした。
物語は、「100万年も しなない ねこがいました。100万回も しんで、100万回も 生きたのです。りっぱな とらねこでした。100万人の 人が、そのねこを かわいがり、100万人の 人が、そのねこが しんだ とき なきました。ねこは、1回も なきませんでした。」という文章から始まります。
ねこは、ある時は「王様のねこ」、またある時は、「船乗りのねこ」、「サーカスの手品使いのねこ」といろいろな人に飼われながら生きていきます。ねこを飼った人たちは自分なりのかわいがり方でねこをそばにおいておきます。しかし、ねこはある日、死んでしまいます。戦争で飛んできた矢に当たったり、船から落ちておぼれたり、手品師に間違えてまっぷたつにされたりしてしまいます。どの飼い主も死んだねこを抱いて大声で泣きました。それだけ、ねこのことを大事な存在に考えていたのです。しかし、ねこはまた生き返ります。そして別の飼い主のねこになります。ねこは死ぬことなど平気でした。
ねこは、ある時「のらねこ」になりました。自分自身で考えて、自分の人生を生き始めるのです。そんな中で一匹のきれいな白いねこに出会います。ねこは、白いねこの気を引くためにいろいろな自慢を始めます。白いねこは、「そう。」と言ったきりで関心を示しません。ねこは、「そばに いても いいかい。」と問いかけます。白いねこは「ええ。」と答えます。ねこは初めて自分から誰かを好きになったのです。ねこにはたくさんの子猫ができました。大切に思う存在、自分よりも大事なものが増えていきます。子どもが大きくなり、幸せにくらしていたある日、白いねこが静かに死んでしまいます。ねこは100万回泣き続け、そして死んでしまうのです。物語は「ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。」という文章で終わります。
私が大好きなこの物語を、4年生の道徳の授業で実践した教師がいます。物語を子どもたちに読み聞かせた後に、挿絵を使って順に振り返らせ、そのときのねこの気持ちを考えさせます。そして、このような問いを子どもたちに投げかけます。
「ねこは、幸せだったのだろうか。」
子どもたちの意見は、二つに分かれます。「白いねこが死んだから、ねこは幸せではないと思う。」「100万回も泣き続けるくらい悲しかったので、ねこは幸せではないと思う。」という意見です。もう一つは、「白いねこや子ねこと暮らせて幸せだったと思う。」という意見です。二つの意見の対立が生まれ、子どもたちは、どちらかの意見の側に立ち、自分の考えを話し始めます。
話し合いが進むにつれて子どもたちは、「ねこはもう、けっして生きかえりませんでした。」という最後の文章に着目し始めます。そして、「なぜ、ねこはもう生きかえらなかったのか。」という理由を考え始めるのです。「今までのねこは、飼われているだけで、自分で生きていなかった。」「ただ生きているだけだった。」「白ねこと出会って、初めて自分よりも大事なものができた。」「ねこは、一生懸命に生きたから、もう生きかえらなかったと思う。」「ねこは幸せに生きたから、もう生きかえらなかったと思う。」
最後の感想では、ねこの今までの人生を振り返り、幸せだったと考える子どもが増えてきます。もちろん、幸せではなかったと考える子どももいます。それはそれでよい考えだと思います。大事なのは、ねこの気持ちになり考えることだからです。子どもたちが、白ねこを愛したねこ、自分よりも大切な存在に出会ったねこの気持ちをしっかりと受け止められた授業であったと思います。
自分の大好きな物語で行われた授業を参観し、絵本を手に取ったころの感動を子どもたちに素直に伝えられるすばらしさを感じました。自分自身が感じた感動を伝えることも、教師の大事な役割です。私自身も、大好きな絵本を使った道徳の授業を考え、実践したいと思います。その時のために、たくさんの絵本と出会うことが大切ですね。
  ※「100万回生きたねこ」佐野洋子作・絵/講談社

(附属小学校教諭)


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