〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.15 2010年3月号
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■ 「ともだち」の大切さを考えさせてくれるこの一冊

スーザン・バーレイ作・絵/小川仁央訳『わすれられない おくりもの』(評論社)

小野寺 惠子

 スーザン・バーレイ『わすれられない おくりもの』は、物知りで、人望の厚いアナグマが、後に残していくともだちを気に掛けながら、静かに死を迎えるところから始まります。慕ってきたアナグマの死に、誰もが悲しい気持ちになります。しかし、アナグマは「おくりもの」を残していたのです。モグラにはハサミの使い方を、カエルにはスケートのすべり方を、キツネにはネクタイの結び方を、ウサギには料理の仕方を・・・それぞれがいま特技としているものは、どれも、アナグマが教えてくれたことでした。
 アナグマの「おくりもの」には、共通点があるのがわかります。ハサミがつくり出すのは、「手をつないだ、モグラのくさり」、ネクタイは、文字通り結び方、そして、凍りついた川でのスケートは時間が止まっていること、しょうがパンの焼き方は、時間をかけるものとしての料理。そこに見えているのは、つなぎ、結ぶことと円環的時間です。「おくりもの」の思い出を語り合い、アナグマの思い出を語り合うことで、モグラが、カエルが、キツネが、ウサギが「ともだち」として結ばれるのです。
 春は別れと出会いの季節です。いまの「ともだち」とこれから出会う「ともだち」、どちらも大切にしていきたい、そして、私自身も誰かの素敵な「ともだち」でありたいと思わせてくれる一冊です。
 

(国際文化専攻4年)


■ 新刊紹介

宮西達也作・絵『ちゅーちゅー』(鈴木出版)

「ちゅーちゅー」鳴きながら、三匹のこねずみが野原で遊んでいると、ねずみ村の村長さんが、「おおきな こえを だしていると ねこがくるよ。たべられちゃうぞ。」と注意します。こねずみもよくわかっています。そこへねこがやって来ます。「たべられちゃう」はずの怖いねこが発したのは、「おまえたち だれだ?」の拍子抜けする一言。これにつづく、「おじさん、ねずみ みたこと あるの?」「ねずみを しらない わけ ないだろ」が奇妙なのは、ねこがねずみを知らないはずはないと思えるからです。ねずみに近づくための演技、うそに思えて当然です。しかし、このねこは本当に知らない、知らないそこから信じ難い関係が生まれるのです。捕食関係にある動物同志から生まれる奇跡とも思える関係、思い出されるのは、やぎのメイとおおかみのガブの物語、木村裕一『あらしのよるに』(講談社)です。違いがあるとすれば、向かい合っているねことねずみには闇という名の壁がない、ねこの無知が壁の役目を果たしていることです。
 「『ちゅーちゅー』って いうのは 『だいすき』って いう いみさ。」ねこを騙すねずみのうそが、思わぬものを引き出します。ねこは「むねの なかが ぽっと あたたかくなるのを かんじ」たのです。「ぼくたち おじさんの ことも すっごく『ちゅーちゅー』だよ」は、取りに出かけたバナナを「もう いっぽん たべよう」へとつながります。
 ねこはバナナの木から落ちてしまいます。足を滑らせたねずみを助けようとしたためです。ぴくりともしないねこ。「だ、だれかに知らせなくちゃ」、「ちゅーちゅー」と鳴けばねこが来るのはわかっています、わかっているからこそ鳴くのです。二匹のねこがやって来るのを見たねずみは、「よかった!で、でも たいへんだ!」、そう叫んで逃げていきます。
「おじさん、うそを ついて ごめんね」、泣きながら走るこねずみの頭上に星がまたたいています。「ちゅーちゅー ちゅーちゅー ちゅーちゅー・・・」、遠くからねこの声が聞こえてきます。「ちゅーちゅー」、三匹もそれに応えます。うそであった「ちゅーちゅー」の意味が本当に変わっているのは言うまでもありません。そして、聞こえてきているのが、星になったねこからのものであるのも言うまでもないのです。

(藤田 博)


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