〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.14 2010年1月号
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■ 生きる悲しみを教えてくれるこの一冊

北川幸比古・大倉雅恵編/新美南吉『でんでんむしのかなしみ:いのちのかなしみ・詩童話集』(日本短波放送)

柴崎 満理奈


 ある日、でんでんむしは自分が背負っている悲しみに気付きます。「わたしは いままで うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには、かなしみがいっぱい つまって いるでは ないか。」
 でんでんむしは友達に悲しみを打ち明けます。「わたしは なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって いるのです。」
 すると、友達は言いました。「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」
それなら仕方がない、とでんでんむしは、別の友達に会いに行きます。ですが、どの友達を訪ねても皆、同じことを言うのでした。
でんでんむしはようやく気付きました。「かなしみは だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは わたしの かなしみを こらえて いかなきゃ ならない。」
でんでんむしのように、「殻」に詰った悲しみは外からは見えないものです。誰かが量ることもできません。だからこそ、人は、どうして「私だけ」がと自分の不幸を嘆くのです。しかし、誰もが悲しみを持ち、悲しみを背負って生きているのです。それを知ったでんでんむしは、悲しみに堪えて生きる決意をします。
この物語を読んだ時、生きる悲しみと同時に「強さ」を感じました。生きることは楽しくもあれば、辛くもあります。自分だけが辛いと、殻に籠ってしまいたくなる時もあるに違いありません。ですが、その悲しみを受け入れる「強さ」がなければ生きてはいけません。
「生きる」とは何か。この本を手に取る度に、私はでんでんむしと自分を重ね合わせ、その答えを探すのです。

(特別支援教育教員養成課程発達障害教育コース3年)


※表紙については、出版社の許可が下りなかったため掲載しておりません。

■ 新刊紹介

ノーラ・スロイェギン・文/ピルッコ・リーサ・スロイェギン・絵/みむらみちこ訳
『ちびフクロウのぼうけん』(福音館書店)

 
 朝の光が射してきました。お母さんフクロウが子どもたちに声をかけます。「みんな あさですよ。ねるじかんですよ。」夜が活動する時間帯のフクロウにとって、朝は眠りにつく時間なのです。末っ子のちびフクロウは好奇心旺盛、少しも眠くありません。雪の上で何かが動くのを目にすると、「あのぴょんぴょんと あそんでくる」、そう言って「ゆうきを だして ぴょんぴょんに ちかづいていきました。」ちびフクロウは、「ぼくも ウサギさんみたいに、ぴょーんと とびたいな」と思います。とぶことのできるそのウサギは柳の木の芽を食べるのです。「おれみたいに とびはねたかったら、それを たべなくちゃな」、ウサギからそう言われてしまいます。
 次に出会ったのはクマです。「これに のぼって あそぼ」、ちびフクロウはどきどきしながらクマの足に登ろうとします。「とうみんからめが さめたばかりで、はらぺこ」、機嫌が悪いクマはちびフクロウなど相手にしてくれません。「あのクマさん、ぜったいに あそんであげないから」と強がりを言います。
 次は「ちゃいろの ふわふわしたもの」、リスです。「ふわふわさん」と声をかけるものの、返ってきたのは、「あんたって、あたしと ちがう。しっぽが ないもん。」ちびフクロウは尻尾が欲しいと思っても、松ぼっくりの種のごはんは食べたくないのです。悲しくなったちびフクロウは、月が昇るのをぼんやりと見つめています。夜の時間、フクロウの時間がやってきたのを知らないのです。
「ウサギさんみたいに ぴょんって とべないし、クマさんみたいな おおきな あしもないし、リスさんみたいな ふわふわしっぽも ないよ」、そう言うちびフクロウに、お母さんフクロウは、「おやおや、おまえには なにが あると おもう?」「フクロウにはね、つばさが あるのよ。」「わたしたちは、そらを とべるわ。」ウサギとも違う、クマともリスとも違うことを教えてくれるのです。「はじめて きのえだを はなれ、じめんに おり」、冒険をしたことによって、ちびフクロウの中に「ぼくも とびたい!」の思いが形をとるのです。
日は森の後ろに隠れました。フクロウは眠って夢を見ます。その夢は空を飛んでいるところに違いありません。もしかしたら、ウサギに会ったのも、クマやリスに会ったのも、夢の中でのことだったかもしれないのです。そうだとしても、巣立ちのその日まではあとほんのわずか、春はそこまで来ているからです。

(藤田 博)


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