〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.11 2009年7月号
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■ 大切なものの存在に気づかせてくれるこの一冊

岡田淳・著/『人類やりなおし装置』(17出版)

菱川 真理子


 「で、その人類やりなおし装置というのは、どういう働きをするのです?」助手の「ぼく」が教授に聞きます。いつもはいきあたりばったりの研究ばかりしている教授が、今回に限っては様子が違います。「人類は、花と緑のなかで、もういちど最初からやりなおすのじゃ」と、どうやら本気で人類のための研究をするつもりのようです。「人類やりなおし装置」から出る波に触れたものは、すべて植物に変わるのです。銃も、ロケット弾も、戦車も、自動車も、お金も、学校も。「ぼく」は「なにもかもまとめて、いっぺんに、ぱっと解決」できるこのアイデアに舌を巻きます。世界をつくる神様にでもなった気持ちになるのです。
 研究を進めるにつれて、教授は何度も壁にぶつかります。いつもなら、一度失敗すると止めてしまうはずが今回はへこたれません。その研究の途中、「ぼく」は気づくのです。水道、トイレ、病院、空気、人間…「とりかえしのつかないものを花や木にしてしまうのではないか」と。「ぼく」は植物にしてはいけないものを書き止め始めます。「もうほかに植物にしてはいけないものはないか――」、そのことしか考えられないようになってしまうのです。「ぼく」には、自分たちのしていることが「罪もない人を、いっぺんに、ぱっと殺してしまう」ことと思えてきたのです。「人類やりなおし装置」は完成します。それでも研究は失敗に終わるのです。
 「生きていくのに必要なもの」を誰でも一度は考えたことがあると思います。しかし、考えれば考えるほどたくさん浮かんできて、行き詰ってしまいます。なくてはならない大切なものは数え切れないほどたくさんあるからなのです。そしてそれは一人ひとりみな違います。世界中に自分とは違う人が数え切れないほどいて、それぞれに数え切れない大切なものがある――数え切れないものは、数えられないのです。その数え切れないものを数える「ぼく」は、私たちに「世界中の人それぞれがもっている大切なものの存在」を教えてくれます。自分に大切なものがあるように、誰かにも大切なものがある。そう考えることで、優しくなれる気がしてきます。「人類やりなおし装置」がすべての人の心をリセットしてくれるのです。

(数学教育専攻3年)


■ 新刊紹介

ルース・ソーヤー文/ロバート・マックロスキー絵/こみやゆう訳『ジョニーのかたやきパン』(岩波書店)

 
 おばあさんのメリーは、働きながらいつもお気に入りの歌を歌います。「それ いそいでおくれ、フライパン!わたしの おとくい かたやきパン!・・・」おじいさんのグランブルは、名前の通り、いつもぶつぶつ言いながら得意の仕事をします。手伝いのジョニーは、いつもお気に入りの陽気な曲を口笛で奏でます。三人は「まるで うさぎが いごこちのいい すで くらすように、へいわに くらしていました。」ところが、にわとりがきつねにさらわれ、ひつじがおおかみにさらわれしてしまったことで、ジョニーにひまを出さなければならなくなってしまいます。
 別れに当たっておばあさんが、ジョニーにかたやきパンを作ってくれます。そのパンが坂道を転がり始めます。ジョニーが追いかけます。うし、あひる、ひつじ、ぶた、めんどり、ろばが順に加わります。坂にさしかかると、パンがあえぎます。ジョニーもうしもあひるもひつじもあえぎます。「みんなは はあはあ いきを きらしながら、まつばやしのまえを ぐるぐる まわりました。」気がつくとジョニーは家へと戻っていたのです。うしが、あひるが、ひつじが・・・作り上げる積み重ねと、積み重ねられたものが大きな輪を描いて元に戻ることが核になっています。ジョニーにひまを出した、出さざるを得なかったことが、さらわれてしまったり、いなくなったりしてしまった、にわとりやひつじやぶたを連れ帰ることにつながっているのです。
 これが『おだんごぱん』と比較可能なのは言うまでもありません。瀬田貞二訳・井上洋介絵『おだんごぱん』(福音館書店)、瀬田貞二訳・脇田和絵『おだんごぱん』(福音館書店)の二つは、同じ訳に違った絵をつけたものです。ポール・ガルドン『しょうがパンぼうや』(ほるぷ出版)も、イギリスの昔話“Johnny-cake”も同じ形になっています。ここでは、逃げるおだんごぱんが主人公、そこからは追いかけるジョニーを主人公とした『ジョニーのかたやきパン』との違いが見えてきます。おじいさん、おばあさん、うさぎ、おおかみ、くまを追い抜いてきたおだんごぱんは、いつでも相手と一対一の関係にあります。次第に数を増していく『ジョニーのかたやきパン』との違いです。足を止めたおだんごぱんが、狡猾なきつねに食べられてしまう話の終わりは、後味の悪さを残しています。それがないことが、うしとあひるとひつじ・・・を連れ帰ったジョニーと一つなのは言うまでもないのです。

(藤田 博)


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