■ 生きることの意味を考えさせてくれるこの一冊
レオ・バスカーリア・作/島田光雄・絵/みらいなな・訳『葉っぱのフレディ−いのちの旅−』(童話屋)牧野 七恵
「死」は、すべての生きものにやってきます。生まれて、死んでゆく。それは何十億年も前から繰り返されてきた、当たり前のことです。しかし、自分や家族、愛する人が死んでしまったら。そう考えたとき、恐怖や不安を感じずにはいられません。『葉っぱのフレディ――いのちの旅――』は、「死」に対するそうしたネガティブなイメージに穏やかな光を与え、生きることの意味を考えさせてくれます。
フレディは、一本の大きな木の枝に生まれた葉っぱです。同じ木の枝に生まれたたくさんの友だちと、春には風に乗ってくるくる踊り、夏には身を寄せ合って人間に木陰を作り、秋にはきれいに紅葉し、季節の移ろいを感じながら毎日を楽しく過ごしています。
しかし、やがて冬がやってきます。仲間は次々と風に巻き上げられ、地面に落ちてゆきます。親友のダニエルは、「引っこしをする時がきたんだよ。」とフレディに言います。冬が来れば、葉っぱはひとり残らず木からいなくなるのです。フレディは、ダニエルの言う「引っこし」が「死」を意味することを悟るのです。
木には、フレディとダニエルだけが残ります。「ぼく 死ぬのがこわいよ。」そう訴えるフレディに、ダニエルは「きみは春が夏になるとき こわかったかい? 緑から紅葉するとき こわくなかったろう?…死ぬというのも変わることの一つなのだよ。」と言います。そして、たとえ自分たちは死んでしまっても、「いのち」は変化しながら永遠に生き続けていくのだ、と優しく諭してくれるのです。
フレディは、自分の一生にはどんな意味があったのだろうかと考えます。「ねえ ダニエル。ぼくは生まれてきてよかったのだろうか。」フレディのこの問いに、ダニエルは深くうなずきます。たった一度ずつしか季節の変化を迎えられなくとも、フレディは満ち足りた気持ちで「死」を迎えます。雪どけ水に混じり、木を育てる力となるのを知ったからです。
(社会科教育専攻4年)