■ 「親」の思い
本図 愛実
教職についての学びが広がり、学校という視点から教職について考えるようになってくると、「親」が学校教育の成立に大きな役割をはたしていることに気づきます。
本学で学ぶみなさんが、教師の仕事に魅力を感じ、教師になろうと思ったのは、どのような経験からでしょうか。おそらくその経験の多くは、教育を受ける側(子どもあるいは子どもたち)と、教育を与える側(教師)という二者からなる活動や関係に関わるものであっただろうと思います。
しかしながら、みなさんを教職志望へといざなった活動や関係は、教育を受ける側と教育を与える側のどちらにも属さないようで、実はどちらにも属している「親」たちが、健全なふるまいをしているという前提条件のもとに成り立っているのです。
そのような位置にある親たちを理解し、さらには、学校教育の一部を担う者としてつきあっていくことが、今日の学校および各教員に課せられています。(詳細は「教育の制度」にてお話することとします。)
昨今、親の奇抜な行動がメディアをにぎわせていますが、実際に教師として遭遇したわけではないのに、メディアが報ずるもの、あるいは伝聞から、親に対して、無用な恐れや偏見をもってほしくないと思っています。
そんな考えから学生のみなさんに本書を授業等で紹介しています。
本書は、親が、わが子の誕生からその人生の終わりまで、どのような思いを抱くのか、一見、距離をおいたような、やや抽象的な表現と軽いタッチのイラストのなかで表わされています。ただし、それは直接的に表わされているのではなく、読む者自身の記憶や感覚をよびおこしたり、想像をかきたてたりするなかで表現されているように思います。たとえば、
みちを わたるとき、
あなたは いつも
わたしの てに しがみついてきた。
いつのまにやら あなたは おおきくなって、
わたしの あかちゃんは、わたしの こどもに なった。
と書かれている頁があります。私の場合は、これらから、まもなく6歳になる息子と手をつないだ時の感触が思いおこされます。ついこの間まで小さくて柔らかだったのに、いまや、肉厚の、がさがさとした手ざわりなのです。寒空の中も手袋なしで平気で外にとびだしていくからでしょうか。つまりは「ごつい」のですが、じき手をつなぐこともなくなり、がさがさかどうかもわからなくなってしまうのだろうと思うと、ハンドクリームをすり込みたくなるようなそのがさがさも愛おしく、頼もしく思えてきます。と同時に、少しばかりの淋しさも湧き上がってくるのです。
さらに本書は、子の成長とともに、親は、それを見守る適度な距離を模索していかねばならないこと、それがそう簡単でもなさそうだということをこっそりと伝えてくれているようにも思います。それはまた、見方を変えると、親とは、そのような課題から解放されない、未熟な、愛すべき存在なのだなあとも思えるのです。
教師になった時、親も日々戸惑い成長しているといった、大らかな見方をもち、親とともに学級づくりができるといいのではと思っています。
※「ちいさなあなたへ」アリスン・マギー文/ピーター・レイノルズ絵/なかがわちひろ訳/主婦の友社
(学校教育講座)