〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.8 2009年1月号
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■ 優しい気持ちになれるこの一冊

新美南吉・作/黒井 健・絵『手ぶくろを買いに』(偕成社)

鈴木 友絵

 きつねと聞くと、「人を化かし、騙す」「ずるがしこい」などといったイメージが思い浮かびます。こうした印象に基づいて作られ、人間ときつねの確執を扱った作品は少なくありません。このせいか、きつねは悪者のイメージが強く、幼少時の私にとって好ましい動物ではありませんでした。しかし、このイメージを払拭してくれる、優しい気持ちになれる作品があります。それが新美南吉『手ぶくろを買いに』です。
 寒い冬の朝、母さんぎつねは子ぎつねに毛糸の手袋を買ってやろうと思いつきます。しかし、夜、町へ出かける途中、母さんぎつねは人間に追い立てられたことを思い出し、足が止まってしまいます。そこで、子ぎつねの片手を人間の子どもの手に変えます。町の帽子屋へ行って戸を開けてもらうこと、その戸の隙間から手を差し入れ、この手に合った手袋をちょうだいと言わせることにするのです。人間は恐ろしいものなのだということを言い聞かせ、子ぎつねをひとりで町に行かせます。にもかかわらず、子ぎつねは、間違って言われた方の手でなく、きつねの手を帽子屋に見せてしまいます。帽子屋は子ぎつねに手袋を渡してくれたでしょうか。
 帽子屋が、子ぎつねの持ってきた白銅貨が木の葉でなく、本物のお金かどうかを試す様子、母さんぎつねが子ぎつねの話を聞いて、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」と繰り返しつぶやく様子など、人間ときつねが信用し切ることのできない様子は描かれています。しかし、きつねと人間の二つの世界を隔てているものは、子ぎつねの無邪気さ、愛らしさによって、揺れています。子ぎつねが人間の親子を見て母さんぎつねが恋しくなるところを読むと、親が子を、子が親を想う気持ちに違いなどないのだと考えさせられるのです。
 

(学校教育専攻3年)


■ 新刊紹介

市川宣子・作/柿本幸造・絵『さいしゅうれっしゃのあとで』(ひさかたチャイルド)

 峠にある駅長さん一人の小さな駅の話です。「あきの おわりの よるでした」、その日の最終列車を見送った駅長さんは、「やれやれ、こんやは とくべつ ひえるわい。」と熱いコーヒーを飲もうとします。そこに列車がやって来る音が聞こえてきます。「かたた、かたた・・・」「おかしいな、さいしゅうれっしゃが でた あとなのに。」運転席に座っていたのは男の子でした。駅長さんの問い掛けに男の子は答えます、「ふもとの まちまで おおいそぎ、ふゆを とどけに いくんだよ。・・・かえりは はるだよ、えきちょうさん。はるかぜを のせてくるんだよ。」
 「きをつけて いくんだぞう。」男の子の木枯らしの列車を見送った駅長さんが、「さて、あついやつをいっぱい・・・」、コーヒーを飲み直そうと思ったそのとき、また別の列車がやって来る音が聞こえてきます。「かたた、かたた・・・」今度は粉雪を届けに行く女の子が乗っていました。「かえりははるよ、えきちょうさあん。れんげの・・・ はなを・・・ のせて・・・ くるのよう。」駅長さんが声を掛けます、「きを、つけて、いく、んだ、ぞう。」
 その後にまたまた列車がやって来ます。今度はゆきだるまが一杯です。「まあ いいや。どうせ ふもとの まちに いくんだろう。かえりは はるに なるのかね。」溶けてしまう雪だるまに帰りはありません。雪だるまがあげる「む、む、む。」の声がそれを伝えているのです。
木枯らしに粉雪に雪だるま、冷たいものばかりです。駅長さんのコーヒーもすっかりさめてしまっています。それでいてあたたかさを感じるのはなぜでしょうか。冬は駅のある峠からふもとの町へと降りていきます。その冬を送り出す駅長さんは、遅い春を迎える駅長さんでもあるのです。「あさ いちばんの しはつれっしゃから よる さいごの さいしゅうれっしゃまで、じかんどおりに はしるよう、・・・きをつけています。」冬と春と、駅長さんの振るカンテラの向きこそ違え、季節が正確に巡っていくようにすることも駅長さんの仕事の一つなのかもしれません。

(藤田 博)


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