〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.6 2008年9月号 PDF版はこちら
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■ 無限の生と有限の生・・・・・・・・・・・・・・・・・・菅野 仁
■ 夜、夢を見る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田 博
■ 『ともだちや』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・野口 和之
■ 忘れかけているものに気付かせてくれるこの一冊・・・・・斎藤 愛美
■ 新刊紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田 博
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■ 無限の生と有限の生

菅野 仁

 私にとってこれまで出会った中で一番心に残っている絵本は何か、と問われれば、迷わず『100万回生きたねこ』と答えるでしょう。
 これは100万回死んでも、100万回生き返る不思議なトラ猫の物語です。
 死んでまた生き返るたびにいろいろな飼い主に可愛がられても、その猫はちっとも幸せそうではありません。でも、ノラ猫として生まれ変わったときにはじめて、その猫は「自分のことを大好き」と思えるようになります。そしていろいろなメス猫が寄ってきてお嫁さんになりたがりました。しかし、一匹だけこの猫に見向きもしない白い美しい猫がいました。この白い猫のそばに行って、「おれは、100万回も死んだんだぜ!」といっても、「サーカスの猫だったこともあるんだぜ」と自慢しても、白い猫はまた「そう。」と答えるばかり。自分のことが大好きなトラ猫は最初は腹を立てます。けれどまた「おれは100万回も・・・」といいかけてから猫は、「そばにいてもいいかい」と白い猫にたずねたのです。白い猫は「ええ。」と応えました。そして猫は、白い猫のそばにいつまでもいました。白い猫は可愛い子猫をたくさん生みました。もうこの猫は、「おれは百万回も…」とは決していわなくなりました。やがて子猫たちも大きくなりりっぱなノラ猫に成長していき、2匹の生活に戻りました。白い猫は少しおばあさんになっていました。100万回も生きた猫は、このままいつまでも白い猫といっしょに生きていきたいと思ったのです。
 しかしある日白い猫は、しずかに動かなくなってしまいました。猫ははじめて泣きました。夜になっても朝になってもまた夜になって朝になって、猫は百万回も泣きました。やがて猫は先に亡くなった白い猫のとなりで静かに息を引き取ります。そしてこの猫はもう、けっして二度と生きかえることはなかったのです。
 もちろんこれは「愛の物語」です。でも単なる甘美な愛の物語ではありません。「生きる」ということそのことについて、いろいろ考えさせられるお話だと思います。この猫が「ノラ猫」になってはじめて自分の生を肯定できたというのは、私たちが本質的に「自由」を希求する存在であることを象徴しています。しかし自由だけでは何かが足りない。自分がほんとうに愛することができる存在を見出すことによって、はじめてこの猫は、自分の生の充実を深く味わうことができ、はじめて自分と自分が関わる世界を、かけがえのないいとおしいものと感じることができたのでしょう。だからこそ、この猫はもう二度と生き返ることはなかったのです。
 私たちが「生きる」ということの核心を支える二つの要素である、自由な活動の可能性と他の人間とのかけがえのない〈つながり〉。この二つの要素を十分に味わい尽くすことは現実にはとても難しいことです。でも私たちは、この二つの要素を自分なりの形で求めていくことを通して、一人ひとりの「幸福」を求めていかざるをえないのではないでしょうか。


 ※「100万回生きたねこ」佐野洋子作・絵/講談社

(社会科教育講座)


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