〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.5 2008年7月号
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■ 大切なことを教えてくれるこの一冊

浜田廣介・文/池田竜雄・絵『ないたあかおに』(偕成社)

千葉 汐未

 この本は、私のお気に入りで、母によく読んでもらいました。鬼と聞いて思い浮かぶのは、怖い、乱暴、邪悪・・・、良いイメージはありません。ところが、この絵本に登場するあかおには、心優しい鬼なのです。
 あかおにには一つの願いがあります。人間と仲良くなることです。しかし、人間は「鬼」と聞いただけで恐れ、近づこうとしません。それを見かねた親友のあおおにが、あかおにのために一芝居打つ、村で暴れる憎まれ役を買って出るのです。「悪い」あおおにを追い払うことによって、あかおには良い鬼であるのを人間に認めてもらうことができました。あかおにの願いが叶ったのです。
 人間と仲良くなり、楽しく暮らすなかで、あかおにはあおおにのことをふと思い出します。あおおにが気になり、家を訪ねますが、そこで見たのは、永遠の友情を綴った置き手紙でした。あかおには、人間と友達になることができました。しかし、その代償として、最も近くにあった最も大切なものを失ってしまったのです。あおおにがどこか遠くへ行ってしまって初めて、無償の友情の存在に気づいたのです。
 友情や愛は目には見えません。大切な人が近くにいればいるほど、愛や友情は当たり前になっていたり、一方的にもらうばかりになっていたりします。大切な人がいなくなって初めて、その大切さが見えてくるのです。何年かぶりにこの本を手に取りました。大切なものほど近くにあり、見えないものなのだということを改めて考えさせられました。

(特別支援教育教員養成課程健康・運動障害教育コース2年)


■ 新刊紹介

五味太郎・作『もりにいちばができる』(玉川大学出版部)

 自分が過剰に持っている、その自分にないものがある、相手が過剰に持っている、その相手にないものがある、そうした場合、過剰にあるものとないものを取り替えることを考えます。知恵のある人間の証です。かくして「物々交換」という名のコミュニケーションが始まることになります。交換する相手が多くなれば、持ち寄る時間を決め、場所を決めることが必要になります。日曜日に、村の真ん中の広場でといったようにです。市の始まりです。多くの市が十字路に開かれるのは、十字路が便利さを超えた象徴的意味を持っているからと言えます。そこにお金が登場し、介在する、それによって物々交換から何歩も前進した、市のいらない「市」へと向かうことは見えています。
 おいしいぶどうをたくさんつけるぶどうの木があります。持ち主はきつねです。毎日、ぶどうを食べているきつねは、たぬきに一房やることにします。お返しに、たぬきがりんごを持ってきます。きつねは、「なんだか とっても うれしいきもちに」なります。うさぎ、さる、くまにもあげると、それぞれにお礼の品を持ってやってきます。きつねは、「ますます うれしい きもちに」なります。「もっと みんなに あげたほうがいい」と考えたきつねは、「ぶどうや」になることを思いつきます。他の動物もまねをし、森にはうさぎのいちごや、さるのバナナや、くまのさかなやが並ぶことになります。「きつねは ぶどうをあげるかわりに にわとりに おまんじゅうをもらった。くまは ひつじに さかなをあげて セーターをもらった。」みんな市場へやって来ます。「だから いちばは どんどん おおきくなる。」のです。
 きつねからたぬきへ、たぬきからきつねへには、化かし合いも騙し合いもありません。それがないことを示すためにこそ、きつねとたぬきを登場させたとも言えます。もし騙し合いを入れれば、「もりにいちばができる」プロセスは複雑極まりないものになるに違いありません。「ぶどうや」になったきつね、「や(屋)」になればそれまでのように「うれしいきもち」だけでは済まなくなることも確実です。そう進む、そうは進まない、双方を確認しながら読むこともこの本の楽しさかもしれません。

(藤田 博)


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