〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.5 2008年7月号
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■ 太鼓を叩く

藤田  博 

 何であっても叩けば音がします。誰であっても叩けば音を出すことができます。打楽器に共通するその性格は、とりわけ太鼓に言えることです。太鼓はシンプルです。それであって、あるいはそれだけに複雑です。太鼓を叩くのは何かの始まりを告げるため、イニシエーションと深く係わっています。儀礼に太鼓を欠かすことができないのはそのためです。太鼓が鳴る、それによって違った時間、違った世界が開けることになるのです。
 山下洋輔・文/長 新太・絵『ドオン!』(福音館書店)では、いたずらもののオニの子ドンが追い出されます。こうちゃんも同じです。そのこうちゃんの上にドンが落ちてきます。けんかになった二人は、負けじと太鼓を打ち合います。こうちゃんの両親が、ドンの両親が加勢します。こうちゃんのねこといぬ、ドンのにわとりとうしが加わります。「とつぜん、みんなの たいこのおとが、『ドオン!』とあいました。」そこに広がるのは哄笑の世界。角突き合いをしていた心が一つになったのです。
 「繰り返し」は絵本にとってなくてはならないもの、そうだとすれば、太鼓の音が大切な役割を担うことになるのは当然です。マギー・ダフ再話、ホセ・アルエゴ、アリアンヌ・ドゥイ絵『ランパンパン』(評論社)は、鳴き声がいいことを理由に、王に女房を連れていかれてしまったクロドリの話です。クロドリは王に戦いを挑みます。「さあ、王様とのたたかいだ。『ランパンパン、ランパンパン、ランパンパンパンパン』」ランパンパン、ランパンパン、繰り返されるその音がいつまでも頭の中で鳴りつづけます。
 「おんがくが だいすきな おくに」の人がいます。「たいこだの ふえだの アコーディオンだの もっきんだの すずだの」を「よくばりで いじきたなくて なまけもの」のアクマに取り上げられてしまいます。それならと、「むぎぶえやら あきかんの ピアノやら しょうゆだるや かなだらい」を楽器とします。それもアクマに取り上げられてしまいます。ならば「ことりや むしや せみや どうぶつを どっさり たくさん あつめ」ればいい。それもだめなら、歌を歌えばいい。その度に輪は大きく、強くなります。かこさとし『わっしょいわっしょいぶんぶんぶん』(偕成社)で一人仲間外れになるのは、雲の上のアクマ、アウトサイダーとしてのアクマなのです。楽器を取り上げ、いじわるをする、それによって逆に皆が一つになる手助けをしてしまうアクマは、太鼓を叩けない、叩かない道化と言えるのです。
 岸 武雄・文/梶山俊夫・絵『あほろくの川だいこ』(ポプラ社)は、愚かであるが故に「あほろく」と名づけられた男の物語です。川を流されてきた男は、「ほとけさまが ねてござるようなやさしいかお」をしていました。異人(ストレンジャー)としての男に対する村人の態度は敵意(hostility)と歓待(hospitality)。庄屋の座敷へ運んだことにそれは見えています。しかし、目が見えない、記憶がないあほろくと名づけられたその男が、座敷から台所へ、更には物置へ移されるのはあっという間です。あほろくは村外れに住む「おとく」と暮らすことになります。おとくは遺言として、「ろくにもできるしごとをみつけて」くれるよう村人に頼みます。村人はあほろくに「川太鼓」を打たせることにします。一番太鼓、二番太鼓、三番太鼓と、村人が来てくれることを信じて、腰まで水につかりながらあほろくは必死に太鼓を打ちつづけるのです。濁流に飲み込まれたあほろくは下流へと流されていきます。あほろくは死んでしまったのでしょうか。下流の村で助けられ、庄屋の座敷へ運ばれ、・・・とすれば、川上から流れてきたあほろくは川上にある村でも川太鼓打ちをさせられていた、それがここに来てわかるのです。
 大雨が降る度に、「ドドーン、ドドーン」という太鼓の音が響いてきます。ろくの怒りでしょうか、うらみでしょうか。「太鼓叩き」は道化の別名です。叩き役でありながら、叩かれ役も引き受けるのが道化としてのあほろくなのです。(英語教育講座)
※「ドオン!」山下洋輔・作/長 新太・絵/福音館書店  
※「わっしょいわっしょぶんぶんぶん」かこさとし・作/偕成社
※「あほろくの川だいこ」岸 武雄・作/梶山俊夫・絵/ポプラ社

(英語教育講座)


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