〜カムパネルラとは〜
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニと旅をする
友人なのは言うまでもありません。絵本が開く異世界
への道案内人としての意味を込めたものです。
Vol.1 2007年11月号
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■ 児童文学の読者は誰か

中地  文 

 日本において児童文学はいつ誕生したのか。この問題に関しては諸説があるが、児童文学というジャンルを明確に意識して創作・出版活動が展開され始めたのは近代に入ってからとする見方が一般的であろう。実際、1891(明治24)年に少年文学叢書の第一編として巌谷小波(いわや・さざなみ)『こがね丸』(博文館)が刊行されたとき、児童文学の創作は新しい試みであると認識されていた。同書の「凡例」には、少年文学とは少年用文学という意味で、日本にはそれを表す適当な言葉がないので仮に名付けたとの説明が記され、さらに「斯(かか)る種の物語現代の文学界には、先(ま)ず稀有(けう)のものなるべく、威張(いばり)て云へば一の新現象なり」と記されている。

 ところで、この「凡例」は、用語・表現からみて大人に向けて書かれたと考えられるが、対象とされた大人は子どもに物語を手渡す媒介者(ばいかいしゃ)だけではなく、文学を好んで読む読者も含まれていたのではないだろうか。「現代の文学界」の「新現象」という主張には、児童文学も文学の一ジャンルとして注目して欲しいという思いが込められていると見受けられる。そうしてみると日本の児童文学は、その揺籃期(ようらんき)において、読者を子どもに限らないもの、大人にも読んでもらいたいものとして創作されていたということになるだろう。
 その後、日本の児童文学界には大人の読者がさらに強く意識される時期が訪れる。「赤い蝋燭(ろうそく)と人魚」等の作品で知られる小川未明(おがわ・みめい)は、1926(大正15)年5月に「東京日日新聞」に発表した「今後を童話作家に」で、自分の「童話」は「芸術」であり、「大人に読んでもらつた方が却(かえ)つて、意の存するところが分る」と述べている。しかし、このような未明の童話観は、戦後、現代児童文学の方向を模索する人々によって批判された。未明は子どものための文学を子どものために書かないという逆説を演じた(『子どもと文学』1960年4月、中央公論社)と評されたのである。現代児童文学は、こうした「童話伝統批判」を経て成立した。
 しかし、ここで気になることがある。現代児童文学は、佐藤さとる『だれも知らない小さな国』(1959年8月、講談社)、いぬいとみこ『木かげの家の小人たち』(1959年12月、中央公論社)が刊行された1959(昭和34)年に成立したとする説が現在定説となっているが、佐藤さとるは、「“子供のために”なんて考えたことがない」(『ファンタジーの世界』1978年8月、講談社)と、作家としての出発期から現在まで一貫して主張しているのである。現代児童文学を担う作家の一人である佐藤のこの発言は、いったい何を意味しているのか。
 佐藤さとるの上記の発言は、「文学とは、あるいは芸術とは、本来そういうもの」という主張とつながっている。思えば、巌谷小波の場合も、小川未明の場合も、大人読者への意識は児童文学は文学の一ジャンルであるとする考えと結びついていた。児童文学が文学・芸術であるためには、子どもだけに受け入れられれば十分とするわけにはいかないのである。このことは、我々が優れた児童文学作品を探すときの手がかりとなるのではないだろうか。
 良い児童文学とは何かと聞かれることがある。その答えは読者として真剣に児童文学と向き合うことによって得られるのではないか。作家の言葉はそれを伝えているように思われる。

(国語教育講座)


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